賛否両論の話題に私見を述べるだけです。
嗄れて枯れ落ちて全て消えるなら私はどうする?
渋井です。
歌詞の引用は女々か?
前日の現象2の記事も良ければご覧ください。
ライブの紹介とかしません。
観測者の中でも賛否の別れた花譜の新しい顔、バーチャルシンガーソングライター「廻花」について思いを綴ります。
関係者とかじゃないので忖度とかする気もないし、全肯定もするつもりもないからそういう意見だけ見たい人は見ない方がいいです。
関係者じゃないけど回し者かも。
怪歌までの花譜の状況と事前予想をしていた
SINKA LIVE SERIES EP.0 不可解参(想)にて花譜のメインコンポーザーを務めたカンザキイオリさんが神椿スタジオから卒業した。
事実として怪花までにリアルアーティストとのコラボ曲や歌ってみたばかりで、花譜単体での曲は出ていなかった。
これまでカンザキさんの色が濃く反映された「花譜」というアーティスト像からの転換を図るのは、何か始めるのは想像できた。
だから、新しく一人コンポーザーが付いて、オタク風に言うと「花譜第2期」が始まるのかなーと思ってた。
もしくはV.W.Pが同じくカンザキさんからの卒業をして多くのアーティストから曲を提供されるようになったように、神椿の内外から多くの手によって花譜の続きを紡いでいくのではと思っていた。
ライブに期待していた構成は、
カンザキさんからの決別とは言わないが、カンザキ花譜を振り返りながら、新曲をまとめて叩きつけるひとり立ちした花譜を見せてくれることだった。
僕らが好きになったカンザキ体制の花譜はもう戻ってこないことは理解する。
だからこそお別れではないけど、区切りをつけて欲しかった。
もちろん花譜タロにとってカンザキさんとの活動が無くなるわけじゃないし続きだってことはわかってる。
でも、じゃあなぜカンザキさんの最後の曲、邂逅から次の曲が出なかったのか。
花譜にとってカンザキイオリの存在がいかに大きなものだったか、全部じゃなくてもわかってる。
それは私にとっても同じことで、前に進むためには最後の振り返りが必要だった。
これまでのすべてを身に着けて前進する儀式が欲しかった。
廻花
廻花について、応援します。
でも私は「花譜」のライブを見に来たから、戸惑いました。
花譜タロ自身からの曲はこれまでも不可解で披露してくれたよね。
活動の方向性が変わるから名義を分けるなんて、花譜タロの思いの多くが「花譜」から分離したら、これからの「花譜」はどうなる?
周りやファンの言いなり?客商売としては正しいのかもしれないけど、これまで「花譜」を好きになった人は、というか私は自我が無くなったら怖い。
「花譜」の今後についてどうなるかわからないのが怖い。
これまでの曲を聴きなおしてる。
やっぱり好きだった。
どうしようもなく大好きだった、知ってた。
変化を嫌うのは老害だろうか。でも変わること、転換することは怖い。
花譜タロの新しい勇気のある挑戦を応援します。
多くの人を虜にしたその歌声でなら、同じように愛されることを知っています。
私のようなカンザキイオリのファンには届きにくいかも、だから応援しています。
続報をお待ちしております。
僕は結局カンザキイオリに取り込まれる過程で花譜を好きになったのかもしれない
カンザキさんは代表曲「命に嫌われている」など、ボーカロイドのオタクはだいたいが経由してきたように思う。
私もその口で一時期狂ったように聞いていたことを覚えている。
新曲を追っていくうちに聴かなくなっていったが、その衝撃はしっかり体に残っていたらしい。
元々合成音声界隈にいたから、人間の歌はあまり聞いてなかった。
たまに聞くのはボカロPの作った曲に人間がボーカルを入れる、まあ名前を出せばヨルシカとかYOASOBIそのあたりだった。
共通しているのはn-bunaやayaseのような元々強力な曲を書く本体がいること。
元々好きな作家の曲を歌われていたこと。
そのうち可不が現れた。
これまで初音ミクから藤田咲さんや結月ゆかりから石黒千尋さんに興味を持ったりすることは無かった。
この時はベースの声が気になった。
初めに聴いたのは知ってる曲、カンザキさんの曲をカバーしたもの。
そこからは早かった。
カンザキさんの世界にマッチした儚い歌声だった。
この時点で自分の中ではまずカンザキイオリがいて、その中に花譜がいるという認識だった。
だから歌以外の花譜の活動は追ってなかったし、当然Twitter(当時)やトーク配信なんかも全く触れてこなかった。あったかどうかもわからなかった。あったけど。
花譜本人を明確に推すようになったタイミングは、V.W.Pを追うようになってから。
結成時はまだ知らないから少し経ってからだけど、やっぱ個人を深堀りすると好きになるわ。
神椿のラジオもちょいちょい聞くようになったし、不可解で思いを聞いて決定的になったと思う。
狂や想でマイディアやリメンバーなど花譜自身が作った曲を聴いたことも大きかったはず、いや想の時はもう心が落ちてたか。
改めて活動を遡ると歌だけじゃなくて、花譜自身の成長ストーリーでもあった。
何言ってんだお前という話になるけど、子の成長を見守る親の目線になってた。
ひとりの人間が手探りで一歩を踏み出して、正解のない道を進んで、受け入れられて、なんだか王道のストーリーみたいだ。
ただのボーカルじゃない。
カンザキイオリと花譜自身がお互いに影響されながら「花譜」という一つの名前を作り上げていたと実感した。
主体となるのは花譜自身だろうということはわかる。
でも既にカンザキイオリと花譜は不可分で混じりすぎている。
いつかのスペースで語ったらしい、カンザキさんがいないと今は無かったと。(要出典)
カンザキさんがいなくなっても花譜が続けられる本人の成長を見てきたし、聞いた。
だから決別の場が必要だった、不可解想で卒業発表と同時なんて無理だ。
別れて新たな道に進む切り替えの場を欲していた。
ライブからこれまでお別れをしていました。
受け入れられないとき解決するのは時間だけだと思う。
ありがとう、カンザキイオリさん。
最後じゃないんだよな、またな!
怪歌を終えて
これまでごちゃごちゃと書き連ねてきたのは神椿特有の事情であって歌を楽しむライブの感想ではないのでここからはそれです。
やっぱりライブは最高やで!!!!!!!!!!
無限にやれ!!!!!!!!!!!!!!
個人的に好きなシチュエーションというのがアルバムで聞いてきた曲のライブバージョンを聴くというものなのでアレンジはもちろんその時々の微妙な歌声のぶれもとても良いのでライブもっとやってくれ。
でも平日にやるのはやめろ!!!!!!!!!バカ!!!!!!!!!!
怪歌ライブバージョンの青春の温度がつべに上がっているので永遠に周回しましょう。
僕が言いたいのは永遠。
私からは以上です。
では。